M-GTAの可能性~当事者研究の視点②~
SIM理事の山本です。先日の「当事者研究の視点」の記事では,具体的な内容に触れなかったため,本日はその続きを記します。
当事者視点で分析することによって,「理論応用者が、実践の場で、どう対処したらよいのかが、より明確になる」と書きました。これは,どういうことでしょうか。
たとえば,がんサバイバーのインタビューを分析するとします。私自身,がん罹患者であるため,がんサバイバーの方のインタビューは,ところどころで,自分ごととして捉えてしまっては,読んでいて苦しくなることがありました。そうしたなかで,がん罹患者の当事者として,罹患した当時を振り返ってみると,周囲からの同情が一番つらかったように思います。そうすると,そういった言葉がインタビューにあると,ついつい着目してしまうわけです。「がんであることを伝えたところ,相手が可哀相と泣いた」「全摘手術の決意に対して,“全摘までしなくても良いのに”と言われた」・・・そうした,一見,相手のことを慮っての言動が,がん罹患者である私にとっては,つらく,しんどいことを思い出す場面そのもの,という感じです。先日,会長とそういった話をしているなかで,二人で生成した概念は「可哀相と思われたくない」です。
グラウンデッド・セオリー・アプローチでは、分析者の恣意性を排除するための切片化により,おそらく,この概念は生成されないでしょう。一方で,M-GTAでは、研究する人間によるデータの文脈の理解を重視していきます。今回の私たちが生成した「可哀相と思われたくない」概念が,実践の場で応用する際に,応用者にとってご支援する上でのヒントになる可能性があります。「可哀相と思われたくない」が分かるからこそ,支援のアプローチが変わるからです。これが,正にM-GTAの強み,メリットであると感じます。
また,こうした概念生成にあたっても,一人では迷いが生じたり,なかなかぴったりの言葉が見つからなかったり,モヤモヤすることも少なくないと思います。グループで意見を出し合うことで,よりしっくりくる概念が生成出来ると,大変な作業でさえ,楽しいものになります。ぜひ,部会などで皆さまと一緒にああでもない,こうでもないと意見交換をしていきたいです。(文:山本)
